エンジニアとして、人としての20代を振り返る

2025年3月31日でついにレベル30になるということで、20代を振り返ります!

超絶ポエム記事かつめちゃくちゃ長いのでご注意ください🤗

職業エンジニアとして

思い返せば、プログラミングに出会ってどハマりした高校時代から、コンピュータは自分でも学べると斜に構た結果、翻って大学は経済・商学系の学部に進学して、大学1,2回生のとき(10代終盤)は金融業界や商社などに進むのかなーと漠然と考えていました。

転機は20歳のときに、統計学関係の授業でPythonを触る機会があり、そこからプログラミング熱が再燃。そこから就活でもIT企業を志望して、20代のキャリアのほぼ全てをソフトウェアエンジニアとして走ってきました。

エンジニアという職を選ぶこと自体が20代のなかで最も賢かった選択肢だったと思います。何もわからなかったなりに思い切った決断をした自分を褒めてあげたい☺️

話を戻すと、当初はエンジニアとしてインターンなどに参加できたわけでもなく実力不足だったのですが、運良くSCSKという大手SIerに入社しました。最高の同期に恵まれた良い会社だったのですが、仕事内容が受託開発であるゆえエンジニアとしてはモヤモヤが募ることが強くなりました。

いまでも仲良い新卒同期たち

直接ユーザに触れる自社プロダクトを作りたい思想が強くなったことで、1年ほどでSCSKを辞めて内定を一番最初にもらったSansanへ転職しました。とにかくプログラミングが大好きだったことや、Sansanのカルチャーや文化との相性が良かったため、仕事は楽しいことしかありませんでした。

好きなことこそ極める という考えだけで走り切って、20代の半ばまではそれなりにキャリア全体が上手くいくことのほうが多かったように感じます。

Sansan社内カンファレンス登壇

ある程度エンジニアとしての実力がついてきて、少なからずWeb系自社サービス開発のエンジニアリング領域では、「わからないことの方が少ない」という若いなりの驕りを持っていました。全能感ほどまではいきませんが、「正しく仕事を向き合ってきた」という自負があったのだと感じます。

学習欲や向上心も高かったこともあって、エンジニアリングに閉じずにプロダクトを作ることにフォーカスできるPdMに社内で転職しました。ARR100億超えるプロダクトにおいてのPdMとしての日々は刺激的でありながら非常に良い経験だったと思います。

しかしながら、仕事のキャリアとしてはこのあたりのタイミングで一度減速してしまうことになります。このあたりの話はとあるB2B SaaSのPdMとして結果を残せなかった話に書いているので割愛しますが、要は仕事が上手くいかないことが続くことになります。

このときの反省としては、 自分を大きく見せようとしすぎたこと だったように感じます。

当時のSansanのPdMのチームは一回り年齢が高い人ばかりで、「この人たちと同じレベルにならないといけない!」と強く思っていたんですよね。いきなりなれるはずはないので、あの時の自分にアドバイスするなら、若いなりの特権で他人に甘えまくったらよい、気楽になろうと言うだろうと思います。

全く関係のないタイでの1枚

おそらく26, 27歳あたりは、好きだったはずの仕事をできなかった時間のほうが長く、お手伝いやフリーランスでの仕事などをパラパラと挟む程度。

改めてソフトウェアエンジニアとしてゼロからやり直そうという気持ちで、昨年の頭にB2B SaaSのスタートアップの現職であるanyに転職しました。

anyでは正社員のソフトウェアエンジニアとして、フルスタックにできることを何でも出来ることは任せてもらえています。Horizontal B2B SaaSという領域においてSansanの経験も強く生きる職場なので、そこの経験を切り売りしつつ、現在は開発チームのリードとして成果も出始めているかなという感覚です。

直前までの期間が仕事が上手くいかない期間だったこともあって、ゼロからやろう という気持ちのモチベーションがとてもポジティブに働いた気がします。

基本的にプロダクトを開発すること自体が好きで、その想いを実現できる仕事は人生の中心なので、仕事には全力で取り組みたいと常に思っていました。それゆえにPdM時代の上手くいかないときにしんどくなってしまっていました。

しかしながら、anyに入社してから、全力に向き合えば向き合うほど上手くいかないときに苦しくなる生来の生真面目さ と上手に付き合えるようになったように思えます。それはもちろん単純な挫折経験からでもありますが、「上手くいかないこともポジティブに変換する」という自己認知を前向きに持っていく姿勢が身についたおかげと思います。

意外な気づきでもあるのですが、他者への感謝の気持ちをこれまで以上に強く持つようにしたことで、自分へ感謝するクセが自然と身についた帰結であるかもしれません。

この考え方が身についたのは間違いなくanyという会社のおかげで、anyでは感謝や賞賛をカルチャーの中心に据えているからこそと思います。ただ仕事を消化するだけではなくて、人間として成長させてくれた組織でもあるので、今後はそういった組織でより貢献できるように全力で粉骨砕身の気持ちで仕事に引き続き取り組んでいきたいですね。

any入社のときの一枚

結婚と離婚

ありがたいことに26歳のときに、本当に素敵な人と結婚をしました。しかし、結果的には昨年の暮れに離婚する運びとなりました。すこし時間が経ったいまでも振り返ると、総じて幸せな思い出がたくさん思い浮かぶというのが正直なところです。

ただ美談たらしめようとする思考が、元奥さんにとっては自己中心的な考えに映るであろうと実感できる程度には、自分の努力不足で支えきれなかったです。いろいろな出来事があったんですが、本当にしんどいタイミングに乗り越えられなかった ことは、20代を通してもっとも反省すべきことだと思っています。上向きに戻れるターニングポイントが数えきれないほどあったはずなのに、見て見ぬふりをしてしまいました。

結婚をしてからこそ守るべき存在だったものを、結婚をしたから勝手に守られるものだと勘違いしていたようにも思います。毎日一緒にいて一番近くにいたはずの人を守ることは、並々ならぬ努力が必要で難しいことを痛感しました。

せっかくの振り返りで、あまり辛気臭いことばかり言いたくないのでこのあたりにしておきますが、結婚生活では大切にしたい思い出ばかりであることは重ねて伝えたいです。

もし次の良い出会いがあったときには、同じ想いをさせないように全力で向き合いたい。この想いはきっと結婚相手に限ったことではなくて、会社同僚、友人、家族にも誠実に真摯に向き合っていきたいと思う価値観を再認識した象徴的なきっかけになりました。

そういえば会社のチームビルディングの一環でやったバリューズカードを添付しておきます。まさに今の価値観だと思います。

個人活動の供養

このブログで書くべき振り返りとして、プライベートの時間でいろいろなイベント参加、サービス、取り組みをやっていたように思えるので、すでに運用していない物も含めてここで供養したいと思います。

📝 ブログ執筆

ブログ執筆という点では、22歳のときからコツコツと続けている活動です。はてブ→WordPress + Lightsail→Astro + Cloudflare Pagesと拠点を移し続けてきました。

個人ブログだけではなく、Sansanとanyの社内ブログでも寄稿を多くしてきました。このブログに掲載されているだけでも合計68記事を書いているようです。お蔵入りしたもの、一度公開したけど二度の移転を経て消したものなども合わせるとそれなりに文章を生み出しているはずです。

ブログに限らず、日記を書く自分にとって 文字に起こす という作業は非常に大切にしていることで、考えを整理するときだけではなくて、気持ちを落ち着かせたり、逆に発破をかけたりするために使う道具でもあります。

👦 SecHack 365

SecHack365というイベントの2期生として、通年を通してイベントに参加していました。修了後に参加記を書いたはずと思ったのですが、どうやら執筆だけして最終的に公開をしていなかったようです。SecHackのイベント全体は素晴らしかったですが、個人的にはあまり上手く成果としてあげることができなかったイベントでした。そもそも転職直後であったこともあって、持続的にコミットできる状態でなかったことが主な要因だったりもします。

またコミュニティ自体に溶け込めなかったという反省も正直あって、ここで得た多くのつながりもあるのですが、いまのところ再会できていないのが正直なところですね。ただいつかどこかで縁は巡ると思うので、大切にしていきたいとは思っています。


😎 自作RDBMS bogoDB

自作RDBMSとして公開したbogoDBです。

24, 25歳あたりはコンパイラ、リンカ、カーネル、RDBMSといったコンピュータサイエンス自体に強い興味を持っていた時期だったと思います。そのひとつとしてYouTubeでCMUの動画を視聴して一週間程度で作って、 DBMSをGoで実装してみた として公開したところはてブでバズって、現時点で⭐️の数も170になりました。

改めて見返すと恥ずかしいことにデータベースと呼べる代物じゃないのですが、自分のことをこの記事経由で知ってくれている人が、社内・社外問わずに稀にいて、こういった課外活動を続けていると実りがあるものだなあと実感した限りでした。


😎 NESエミュレータ goones

NES、すなわちファミコンエミュレータとして公開した goonesです。

今までの人生の中で開発した個人制作物で、一番アドレナリンが出たのは吸い出したROMでスーパーマリオブラザーズが自作エミュで完動したときでした。ゼロからコードを構築して、ゲームが動いたあの瞬間は本当に興奮したことを覚えています。

もちろんコンパイラやリンカを作るといった体験も相当面白いのですが、ROMを吸い出せば実際に動くものが見れるという意味でも、コンピュータの根源的な仕組みを学びたいエンジニアにはぜひおすすめしたいです!

もろもろ詳しい話は、Goでファミコンエミュレータを書いた で書いています。


😎 CUIテキストエディタmille

1000行以内で開発するCUIテキストエディタとして公開したmille も思い出に残っている作成物の一つです。 Goで作るテキストエディタ に詳しく書いているのでそちらもどうぞ。

こういった 技術的興味の制作物を公開してブログ化する という流れは20代中盤で失速してしまったのですが、もうすこし本質的な人に使われるサービスやプロダクトを開発したいという心境の変化があったからです。


📱 ひとりごと英会話doll

2023年に開発したXcode/Swift純正の英会話iOSアプリ。

ChatGPTがリリースされた直後にAPIを使えば英語学習ができるやん!と思って一気に開発してアプリとして公開しました。

単に英会話をするだけではなくて、英文法のアドバイスをもらえるなど、ひとりごと英会話 としてシャイな自分には我ながら良いアイデアだとは感じますが、すぐに他の既存の英会話アプリが取り込みレッドオーシャン化しました。まあもっとイメージしやすく真似しやすいですもんね。

ChatGPTを利用した英会話勉強iOSアプリを開発しましたにもうすこし詳しく書いているのでそちらに譲ります。

もうストアにも公開していませんが、すぐに行動できたことは褒めてあげたい🤗


📃 SEO用語の解説サイト

急に俗っぽいサービスが出てきましたが、SEO関連の用語について徹底的に調べてまとめあげたWordPressのサイトです。いわゆるSEOでお金稼ぎという欲望マシマシの内容ではなくて、SEO関連用語をエンジニアリング的に深掘りしたような内容を掲載していました。

テックブログの執筆自体ばかりやってきていたので、もうすこし一般向けに記事を書けないかなと試行錯誤したものです。

維持費としてレンタルサーバ代だけでよかったので、残していてもよかったのですが、文章を書くエネルギーが吸われることで、本質的な技術ブログ執筆が疎かになるので辞めました。ただ結構データや数値を見るという意味では面白かったです。広告やアフィリエイトという仕組みは複雑怪奇ながらも、いかに良質な記事をつくるかといマーケティング観点では、意外と勉強になったことばかりでした。

Figmaの残骸


📕 仕組みがわかるGit

zennで公開している仕組みがわかるGitという名前の通りの、Gitの内部構造を解説した本です。

前述したサイト運営で、わかりやすい文章や構造化された図解のスキルが一定身についたと思ったので、こういった売り切りの同人誌的に売り出したものです。

自分の文章執筆のスキルセットと親和性も高いので、今後は年一度程度のペースで続けられたらいいなと思っています。この本も楽しく書き切った覚えがあります。

【収益も公開】ZennでGitの仕組みを解説した本を執筆した感想に感想は譲ります。


🎥 UdemyでのSwift講義

ゴールデンウィークに50時間ほどをかけて作り上げたUdemyでのSwiftの授業です。大した内容は書いていませんが、UdemyでSwiftの講義を作成しましたでも触れているものと同様です。

一番意外だったことは毎月技術者が買える程度は稼げたことでしょうか。たった一つですが、一度時間をかけて一定のマーケティングをすることで月に「何もせずに稼げる仕組み」を作れる可能性をもっとも感じました。いまの凡人の自分ができるお金稼ぎの本質は、時間をかけてコンテンツを作り出して、プラットフォームのなかで売りに出すことを繰り返して提供できる資産を増やしていくことかもしれません。そしてそれを継続し続けることだと感じます。

しかし時間があれば、「仕事をしたいなぁ」と思うところもあって、副業的にやり続けるには厳しく長続きはしませんでした。もう2,3本くらい講義を作っても良かったなと反省することもありますが…


👦 松尾研 / 大規模言語モデルへの修了

昨年に松尾研の大規模言語モデルの講義を終了しました。アプリを開発したことからも伝わると思いますが、生成AIにはChatGPTの誕生直後から大きな可能性を寄せていて、次の10年は生成AIに関係するプロダクトに触れていたいという想いが非常に強いです。

その一環として生成AIの根本の仕組みを理解する取り組みとして参加しました。非常に質の高い授業や運営、最終課題でLLMを構築するという流れを体得できたことは大きな経験になりました。今後も似たような講義があれば参加していきたいです。


このほかにも瑣末な屍になったアイデアや実装はめちゃくちゃあるのですが、ハッキリと思い入れがあるのはこの程度なので辞めておきます。

イベント参加や講義はのぞいて個人開発関連について総じて足りていなかったと思うのは、楽しんで続けるモチベーションの維持 です。

「個人開発だから」というのはやめる口実になりやすいんですよね。例えば「稼ぎにならないから」「ユーザがいないから」といった撤退することを言い出すのは本当に楽ですよね。そこを踏み込んで忍耐強く対応することは結構難しい。できなかったと思います。やり続けるにもお金もかかりますし、仕事でないのでフルコミットするほどでもない。なので、「楽しみ続けること」が一番大切だと学びました。

とくに仕事で成果を出すことをセンターピンに置く性格だったりするので、趣味の時間は無理しない範囲でゆったりと個人開発をしていこうとは思っています。 そして次はコツコツ続けられるものを選んでやりたいなと思います🔥

とはいえ、もしかすると起業したり、創業期の会社で働くといった仕事に転化している可能性も高いとは思います。そもそも仕事と境界がないのかもしれません。

最後に

個人の日記、ブログ、写真フォルダ、SNSを見返してみて20代をあらためて棚卸ししてみると、エンジニア関係については意外と色々やってるんだなぁという感じでした。特に社会人としての8年間のうち減速した時期も間違いなくあったんですが、それでも一つ一つ小さなことを積み上げてきた気もします。

細かい目標を立てることは得意ではないのですが、ざっくりと価値のあるプロダクトを生み出すことを目標にした10年にしたいとは思っています。まだまだ圧倒的成果や代表作を出せてはいません。そのためには特定のことをやり抜く覚悟と忍耐が重要だと感じます。何かをやり抜くことと比べると、言い訳をしたり、指摘をしたり、辞めたりすることは本当に簡単で、20代の興味が赴くがままにフラフラすることは、仕事に関しては控えていこうと思います。

一方でプライベートについては本当に反省が多いです。わがままで未熟すぎて、他人を悲しませてしまったばかりでした。多くの活動の裏に守りきれなかったものが多くあります。特に今後は良き出会いがあったときには、目の前の人を大切にする という想いは絶対に忘れないようにします。

このように不完全な自分ではありますが、20代の青かった時期をこれからも大切に、次の10年を頑張りたいです。

支えてくださった皆さんありがとう!これからよろしくね🤗