とあるB2B SaaSのPdMとして結果を残せなかった話

はじめに

ぼくは数年前にSansanという企業のPdM(プロダクトマネージャー)をやっていました。ただタイトルに書いている通り、その挑戦は、正直なところ、うまくいきませんでした。

ぼくはとても繊細な人間なこともあり、なぜ上手くいかなかったのかをずっと咀嚼できないで、長らくくすぶっていました。 先日、新天地が決まったこともあるので、供養の意味も込めて、失敗談をシェアしようと思います。さすがにそろそろ時効でしょう。

キャリアチェンジ前夜

26歳のとき、PdMに挑戦する機会を得ました。

新卒で豊洲のSIerを会社を辞めて、Sansanに中途入社してちょうど3年目程度の時期で、当時所属していたiOSのリードエンジニアになるか、プロダクトマネージャーになるか、どちらにキャリアを切るかを選ぶことができました。社内で評価してもらえてたのではないでしょうか、とてもありがたいことです。

ぼくは元よりPdMを希望していたこともあったため、迷わずに後者に手を挙げました。 実際に当時の上長は推薦してくれて、なんなくPdMになることができました。

当時、SansanのB to B名刺管理サービスはすでにARR100億を超える国内SaaSでもトップクラスの組織でした。そんな立派な組織のPdMの一員になれることは、とてもやり甲斐がある仕事であったことは間違いありません。 ただ、SansanでPdMになった、という言葉は実は正確ではありません。当時の組織では、プロダクトマネージャーになるために修行期間を経る必要があったため、ぼくはその期間で頓挫することになったからです。

修行期間とはいっても、いくつかの例外はあれど、権限は正規のPdMとほぼ同等で、普段の行動において区別されることはありません。組織外からみれば、僕はPdMをやっていると思われていたのではないかと思います。

自分も経歴としてPdMをやっていたと言うことにしています。当時のメンバーからしても、それは違う!とは言われないだろうと勝手に思っています😄笑

PdMとしての勉強の日々

今は分かりませんが、当時(2020年)は組織の大きさから、世の中の人がイメージするスクラムチームではなく、PdMが集中して一つのチームに集まる体制でした。

これは大変勉強になりました。他の人がどのよえな思考を経て、どんな想いがあって案件を推進しているのか、それを毎日肌で感じられる時間は本当に貴重でした。

そのほかにも、とにかくたくさんインプットをしたと思います。いわゆる推奨書籍はたくさん読みました。誰にも言ってませんが、初めの3ヶ月で20冊程度は読んだんじゃないでしょうか。もちろん流し読んだものもあるので、数ではありませんが、相当数、これまでのエンジニアとは違う領域をインプットしました。

もちろんインプットだけではありません。 アイデアを形にするためFigmaを覚えてワイヤーを作ろうとしてみたり、社内のデータサイエンティストと会話をするために、数学、統計学を改めて勉強したり、ユーザデータを分析したり、ビジュアライズして、アウトプットを数え切れなほどやったり。

機会があれば、商談やCSメンバーに同行してユーザにも会いにいくようにしていました。同行できなくてもインタビュー動画をもらって視聴したり。 アウトプットについて、個別の案件についてもひとつひとつ想いはありますが、それは退職した身が語るには烏滸がましいので触れませんが、とにかく必死に働いていました。

実際にPdMとしてリリースした案件は多くあります。成功したものも少ないですが、確実にあります。

しかしながら、そうしたなかで少しずつ上手くいかないことが増えて、募って、溜まってしまったのです。そしてその泥を発散できなかったのです。

不器用かつ繊細で上手にこなせない

まず言い訳がましくも、コロナ真っ只中だったということ。これはとても大きかったです。フルリモートの環境において、人と信頼関係を築くことにとても苦戦していました。

これまでのエンジニア生活と異なって、PdMは関わる人の数がとても増えます。顧客、ベンダー、CS、デザイナー、エンジニア、上長、マーケター、R&D、法務など信頼関係を結ぶ必要があります。

そこで合意をとって進めていくことが仕事ですから。社内外問わず初めましての人がたくさんいるわけですが、あの時期に信頼関係をどう築けばいいか、正直いうと分かりませんでした。 コミュニケーションが苦手、というわけではないと思っています。でもリモートだとどうしていいのか全くわからず、空回りする一方でした。飲み会が好きなのに、出かけられなかったですし、ストレスも強かったです。

たんに不器用だったのです。

次にSansanでのキャリアがスマホアプリのバックエンド、そしてiOSアプリのエンジニアだったため、スマホアプリを主軸にプロダクトを良くしていきたいという漠然とした想いはありました。よりよいアプリを実現するための具体案もありました。

しかしスマホアプリでインパクトを残すための施策を、全体のバックログのなかで優先度を上げられませんでした。やる以前の問題です。

Sansanのメイン層はやはりWebアプリケーションです。全体の予算感と優先順位のなかでスマホアプリに割り振られる工数は、決して多いものではありませんでした。

これは組織のせいではなく、その工数を取りに行くという意味で、自ら戦略を立てて、優先度を上げてもらうために働きかける実力が、当時の僕にはなかったということです。 もちろんこれもコロナの影響による信頼関係構築に問題があるのですが、巻き込み力が足りなかったとでもいいましょうか。

スマホアプリ専任のPdMとして、インパクトを残すこと自体が難しかったので、Webの案件をやることにもなるのですが、そこには自分の強みが活きる領域が少なかったのです。

こうなると、やっぱり徐々に結果を出せないことに焦ります。ここまで何も出来ないのかと、無力さを感じる日々でした。 上長やバディは常にアドバイスやレビューをして併走してくれました。あの時のメンバーには本当に感謝しています。それでも暗闇の中をひたすら走り続けているようでした。

そしてここから別問題で一悶着あって、暗黒期に突入します。結局PdMは続けられなくなってしまいました。 総じて振り返ると、不器用で繊細すぎたことが大きかったのだと思います。 ドーンと構えて、バーンと対応して、淡々と過ごす、そんなパワーもあの状況ではなかなかできませんでした。

PdMとエンジニアの両輪で

基本的にPdMの仕事もSaaSの仕事も泥臭いです。僕はその泥臭さが好きなので、B to B SaaSが好きなのです。社内のあらゆる分野と協力して、良いものをつくりあげて、受注を作り上げるそのプロセス。みんなで一緒に喜ぶ瞬間に、とても涙が出そうになるくらい良いものです。

これは今後もやっぱり続けていきたいです。

ぼくの根源の欲求は作り手として 「組織全体でこだわり抜いて良いものを作り上げたい」 につきます。言葉としてはチープかもしれませんが、そのためならなんでもします。

現在の話をすると、いまはWeb開発に強くなるために再びWebエンジニアとして修行中ということにしています。また原点のエンジニアとしてゼロからやり直すことにしました。

個人開発にもは力を入れて勉強中です。例えばですが、このブログもAstro製のSSGされる独自の開発サイトです。ページの読み込みが爆速…でしょう🙂

サイトのデザインも小綺麗に読みやすいフォントや色使いを丁寧に選定しており、このサイト自身が自慢の作品に仕上がりつつあります。これも勉強のひとつ。

PdMとしての経歴もあって、まだまだWebエンジニアとしては弱く見えるかもしれません。今後将来にもわたって、B to B SaaS企業に行きたいのですが、Webエンジニアとしての経験が薄くて、まだまだ実力不足です。アーキテクチャ設計とか上手だと思うんですけどね。Sansanで耳にタコができるくらいやってましたし。

話が大きくそれましたが、兎にも角にも、Sansanのおかげで、B to B SaaSという領域がとても好きになったので、今後もこの領域でスペシャリストを目指していきたいです。もともと新卒はSIerの人間なので、社会人としても、業務アプリケーションにどっぷりですしね😄

新天地については、いつかのエントリで触れようと思います。 でも、またいつかどこかで、B2B SaaSのPdMに挑戦したいな、と思っています。とってもとっても魅力的なお仕事ですよ。まだ29歳なのでね。これからですよね。

ここまで拝読いただきありがとうございます。 お世話になった方々に愛を込めて。

あらかわ