あえて視座を落とすことについて

PdMとエンジニアという職種を交互にやっているときのモヤりを言語化する。

わたしはエンジニアがキャリアの大半で何をどう作るか(How)を考えることが多かった。しかし前職でプロダクトマネージャーという経験を経て、視座を高めて「なにを」「なぜ」やるのか、を考える経験が増えた。 そうした経験のあとで、現在はエンジニアとして戻っているのだが、自分はどのように動く方が正解なのだろうとよく考えている。

多くの会社では、エンジニアであってもプロダクト視点の行動をすることは重要であると認識されるし、実際それはその通りだと思う。 一方で、いちエンジニアとして働くとき、あえて視座を落とした方がいいのではと思う時がある。

つまるところ、Why / Whatを考える前に、コーディングをしてリリースしてしまった方が早い場合があるということだ。 Just Do Itというやつだ。


「視座の高さ」という言葉の定義を曖昧にしているが、ポジションによって視座の高さの定義が異なるのが本質的な問題である。

例えばエンジニアであれば、フレームワークの動向なり、ライブラリに搭載された新機能、他社のアーキテクチャ事例、最新技術のキャッチアップなど技術力に関することが本来の視座の高さであるべきだ。そしてそれらを自分のプロダクトへ適用させていく、最終的には一つでも多くのPRを積んでいくことが結局は重要だろう。

しかし、プロダクトマネージャーはというと、ユーザをどう理解するか、KGI/NSM/KPIの策定、長期のビジョンの制定、開発プロセスの確立、メンバーとの関係性構築など、次元の異なるマネージャー相当の思考が求められる。

これらを全て考えていくと総合的に、やはり後者の方が視座が高いと一般的に評価されるのは仕方ないことかと思う。二元論でもないが… エンジニアとして、本来深ぼるべき領域が、プロダクト思考に、やや現実的に乖離があるのである。

何度も何度も強調するが、エンジニアがプロダクトについて考えることを放棄しろ、と言っているわけではない点に注意してほしい。むしろ積極的に持っていて欲しいし、私自身はエンジニアリングよりも、プロダクトを先行して考えてしまうタイプだ。逆も然りである。

ただ実はここに小さな落とし穴があると思う。先に、なぜ、そもそも論が脳内を駆け巡るからだ。 スポーツ選手になるために、頭でアレコレ計画をするよりも、毎日体を動かしたほうが良いといった話と似ている。

ケースバイケースであるが、ある類の案件については、あえて視座を落として、技術のことだけを考えて、とにかくHowを徹底して作ってしまうことが求められるのではないか。

どれだけ崇高なビジョンやロードマップを自分の中で構築して言語化できたとしても、エンジニアならPRを一つでも多く対応していくべき場面があるではないか。

それは視座を落としたとは言わない、と励ましの声をいただけるかもしれない。そう思っていただけると嬉しいが、やはりそのポジションでできることを最大化したいと考えている。

するとエンジニアとしての、自分のインプットやアウトプットは、技術研鑽へリソースを傾けるべきなのか…それともPdMとしての成長も並行するべきなのか…時間は有限なので困りものだ。

実は、エンジニアに限った話ではないかもしれない。事業責任者をしたあとに一営業に戻ったり、CPOを経験した後に手を動かすデザイナーに戻ったり、プレイヤーとマネージャーのキャリアの往来だと似た悩みを抱えるかもしれない。 もし似た感想あればおしえてください。

結論、あえて視座を落とすことで、結局それを通して最短でプロダクトを成長させられるのではないか、という話でした 🧐