大手SIerからWeb系ベンチャーに転職しました

はじめに

どうやら退職エントリが流行っているので便乗しちゃいます。

新卒で入社した大手SIerを10月末で退職しました。短い時間でしたが、設計工程からテスト工程に携わることもでき、SIerの働き方の基本を勉強させてもらいました。大企業だったので、社会人としての基礎や社内政治を手探りながらも習得できました。100人近くの同期は本当に素晴らしい人たちばかりで、心の支えになり続けてくれていました。こればっかりは大企業の良さだと思います。

自分について

商学部卒のエンジニア。いわゆる文系卒。

どんな仕事してたのか

製造業界向けWebアプリケーションを開発していました。フレームワークは会社独自のものを利用していました。ちなみに開発環境はメモリ4GB、Windows7、ネット環境なしでした。自宅のPCのほうが開発しやすいです。案件自体は元請けでやっていたので、いわゆるプロパーとしてパートナーをまとめる必要もありました。要員も少ないときは10名程度だったのですが、炎上するに連れて要員が増加していき、私が退職するタイミングではオフショアも含めて100名程度が携わる炎上案件になっていました。

なぜ退職したのか

キャリアとのミスマッチが大きな原因です。 もっとも「先輩のようになりたい」と全く思えなかったです。

私は技術も大切にしたかったのですが、やはり現場で求められるプロジェクトマネジメントのみです。技術はパートナーさんがやるから必要ないよ、です。ではなぜ炎上しているのでしょう。そもそもマネジメントすらできてないですね。

上司たちはみな「プログラミングなど手段にすぎない」と口をそろえて言っていました。それは確かにSIerにとっては事実かもしれません。しかし、だからといって「手段に過ぎないから、プログラミングはできなくても構わない」と断定する人が大半を占めています。彼らはプログラミングができないのに、どうやってシステムの要件決めや設計をするのでしょう?声高にクラウドがー、フィンテックがーなどと言っていますが、本質的な理解ができているのでしょうか。既存のレガシーなものを組み合わせることでしかできないのに、です。

技術を土台に活躍するキャリアとロールモデルは、私の部署にはありませんでした。なにより会社の求めている像とも違いました。おのずと「5年後にあんな風になりたくない」と強く感じるようになりました。

これからもレガシーな設計と実装をしていくことでお金を稼いでいくんでしょう。ただ、補足をしておくと、元の部署は売上も利益も高い水準にありました。ビジネスモデルとしては十分に成功しています。

でも全く面白くないですよね。

炎上案件の経験

配属されてからずっと同じ新規開発案件に携わっていました。1年で終わる程度のスケジュールだったのですが、3ヶ月延期するも完成せず、もう3ヶ月伸びるような延期を何度か繰り返していました。まさに炎上案件状態でした。

炎上するにつれてマイクロマネジメントを強いられ、与えられる作業にどんな意味があるのだろうか、と常に自問自答していました。 まず基本的に意思決定はすべて上司が行います。若手といえどそこに携わることは殆どできませんでした。

気づくとチケット消化マンになっていました。仕事は、Redmineにて起票されるチケットを淡々と対応するだけです。そこにはプロパーといえど裁量がなくなっていきました。チケットに記載のある内容をただバグフィックスしているだけの日々を半年間以上続けていると、メンタルもおかしくなります。

かけられる言葉は決まってこうです。

「炎上案件を経験すると、いい勉強になるよ」

人月商売とウォーターフォールについて

人月商売は悪です。下請けのパートナーさんには「時間」に対してお金を払い、「成果」はまず評価されません(成果を出せる人はさらに時間を使わされるのです)。そうすると、技術力を伸ばそうとする人も少なく、このような環境下で技術力などのスキルを伸ばしていくことは不可能だと思いました。これに関しては成長を環境に求めている時点で自分勝手なのかもしれませんが。

また、SIerの基本的なビジネスモデルとして、ウォーターフォール型の開発プロセスを取ることが多いと思います。 開発前に要件が完全に定まっていて、それに従って請負の金額が決まっているため、必然的にプロダクトを良くするインセンティブが薄くなります。例えば、どんなにWebサイトの応答が遅かったとしても、要件の時間以内であれば、問題ないのです。その根拠がユーザ目線だったら問題ないのですが、なによりも見積額が絡んできます。見積もり次第でここまでは許容する、というラインが顧客によって作られます。その要件よりも速度を上げようとしても貰えるお金は変わりません。結局はエンドユーザの使い心地ではなくて、企業の情報システム部の要件次第なのです。

これは良くも悪くもビジネスなので当然かもしれません。それでもどうしても許せなかったことがありました。 それは、機能の性能について要件がなされていなかったため、その部分の性能を一旦黙殺していたことです。

実際にあった例なのですが、開発していたWebアプリにログインをするだけで5秒程度かかっていました。 しかし、そのログイン機能に対する性能要件がなかったため、このまま改善されることはありませんでした。 ユーザテストの段階では指摘されるのかもしれませんが、システムテストのあとに行われるため、一旦開発中は黙殺です。

こういった価値観がどうしても我慢できなかった。

本当にエンドユーザのことを考えると許容できる時間ではないだろうと。 何事もトレードオフだとは分かっているのですが、エンジニアとしてエンドユーザに届けるプロダクトに正しくコミットできないことは想像以上にきつかったです。

退職の決め手

ある日、あらゆる作業が手につかない状態に疲労している自分に気づきました。先輩にも相談はして、心配はしてくださったのですが、状況は全くと言っていいほど何も変わりませんでした。きっと我慢も大事。そう思って耐えて頑張ってきました。しかしながら、状況は何も変わらないんです。変えよう!と思った試みもいくつか失敗に終わりました。

気づけば、自分ではどうしようもないほどに疲れ切っていました。頭が回らなくなっていました。もう少しうまく喋れた気がするんですけど。そして、以前は毎日のようにパソコンに向かってプログラミングしていたのに、最近はできていない。

やばい。このままじゃいけないと強く感じて、転職エージェントに会いに行きました。 そこからは転職まであっという間でした。二週間程度で転職活動終わりました。

転職先について

転職先には自社サービスに携われる会社にしようと決めました。

重要にしたことは、

  • 尖ったプロダクトを持っている

  • エンジニアのレベルが一定以上に高いこと です。

特に尖ったプロダクトであることは重要視しました。良いプロダクトを作れる実績と気概がある集団であれば、学べることも多いだろう、と思っていたためです。 最終的に渋谷にあるWeb系ベンチャーに、バックエンドエンジニアとして内定をいただき、転職することになりました。

転職してから

転職後して一ヶ月経って思うことがたくさんあるので、別の記事で書こうと思います。 よくあるSIerからWeb系の企業に転職して、一言だけ言うとすれば、「転職してよかった」と毎日実感しています。

結局は、自分の価値観がSIerという文化に合わなかっただけなんだと思います。だからこそ、僕と似た価値観を持つ人達が同じような轍を踏まないようにしてほしい。そう強く願っています。